メッセージ・プロフィール

メッセージ

人口減少、少子高齢化、長引くデフレ、拡がる格差・・・。
この大きな難題に、日本は真正面から向き合わなければなりません。
もう、その場しのぎや先送りは許されません。
日本の明るい未来を切り拓くために、
予算の配分と人の配置を変える流れをつくるために悪戦苦闘しましたが、道半ばで終わってしまいました。

鳴り物入りで始まったアベノミクスは、結局、
「金持ち」が「大金持ち」になっただけに終わりました。
その陰で経済格差は拡大し、最低限の衣食住さえままならない
状況に置かれている人が増えてしまいました。

「自己責任」と「自助」ばかりが強調される政治は、
政府による「共助」を弱くすることとなり、
コロナの危機に対応することはできませんでした。

コロナ後の社会は「支え合う社会」へと変えていく。
人は長い人生のどこかで大きな困難にぶちあたります。
そんな時、「自己責任だ、お前が悪い」という社会ではなく、
個人や家族だけで背負い込むことなく、
「困った時はお互いさま」の精神で、
みんなが支え合い、分かち合う社会をつくっていく。

医療、介護、保育、教育、障がい者福祉などのベーシック・サービスが、いつでも誰でもどこででも自由に受けられる体制をつくっていく。
これが、「支え合う社会」の基礎となります。

滋賀県で育ち、学んだことを誇りに思います。
滋賀県で2人の娘が育ち、家族4人が元気で暮らしていることに幸せを 感じています。
滋賀県への思いを胸に、県議として8年間、参議院議員として6年間、 貴重な経験を積んできたことを糧として、 これからもさらに走り続けます。
是非とも、お力をお貸しください。

プロフィール

徳永 久志 (とくなが ひさし)

    • 1963年生まれ
    • 1976年 近江八幡市立金田小学校卒業
    • 1979年 近江兄弟社中学校卒業
    • 1982年 滋賀県立彦根東高校卒業

    ごく普通のサラリーマン家庭の長男に生まれる。小さい頃のヒーローはプロレスラー・アントニオ猪木。中学3年の秋、貯めていたお年玉を握りしめて、親に内緒で一人で東京へ。新日本プロレスの道場を訪れ、入門を直訴したものの、「坊や、高校いって、体を大きくしてからおいで」とあっさり断られました。

    • 1987年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業
    • 1995年 (財)松下政治塾卒業

    プロレスラーの夢を絶たれた頃、ロッキード事件がおこる。政治の悪にペンの力で斬り込む新聞記者に憧れ、マスコミ出身者が多い早稲田大学へ進学。やがて、ペンの力は否定しないが、自らが政治の世界に入って正しくしていくことに惹かれるようになる。そして、松下幸之助氏が「政治を正さなければ日本は良くならない」と松下政経塾を設立したことを知り、入塾。政治、経済、国際関係、茶道、剣道などを学びました。

    • 1999年 滋賀県議会議員(近江八幡市選挙区)当選
    • 2003年 滋賀県議会議員(近江八幡市選挙区)2期目当選

    落選の経験もしながらも、35歳で県議会議員に初当選。当時は長女が生まれたばかり。夜泣きで一晩中だっこしながら議会の質問原稿を書いていたものでした。子育てをしながら県政を眺めると、いわゆる子ども・子育て関連の施策はほとんどないことに気づきました。以来、子育て支援策の充実に尽力し続けています。

    • 2007年 参議院議員選挙 当選
    • 2010年 外務大臣政務官 就任

    国会では主に、外交・安全保障の分野を中心に活動していました。民主党政権時代には外務大臣政務官に就任し、日本外交の一翼を担いました。2010年のニュージーランド地震では日本の留学生も被害にあったため、現地で現地対策本部長として指揮を執りました。また、アフガニスタンではヘルメットを被り、防弾チョッキを着てホテルで一泊したことは良い経験でした。参議院議員は2期目を目指して挑みましたが、力及ばず、落選しました。

    • 2014年、2017年 衆議院議員選挙 落選

    「捲土重来」「素志貫徹」を合言葉に、再び国政をめざして、ひたすらに、まっすぐに活動中。(現在、立憲民主党滋賀県第4区総支部長)

【主な役職歴】

  • ・外務大臣政務官
  • ・参議院予算委員会理事
  • ・民主党副幹事長
  • ・参議院拉致問題に関する特別委員長
  • ・国民民主党滋賀県総支部連合会代表
  • ・社団法人近江八幡青年会議所監事
  • ・学校法人ヴォーリズ学園評議員
  • ・早稲田大学校友会代議員
  • ・近江八幡ロータリークラブ理事